Kids

無償の愛をくれていたのは、
子どもの方だった

無償の愛をくれていたのは、子どもの方だった

最近、ずっと余裕がありませんでした。

家にいる時間も、何もする気が起きなくて。家事をするだけで精一杯。子どもと、全然遊んであげられていませんでした。

正直に言うと——「ママ、ママ」と呼ばれることさえ、しんどいと感じてしまうくらい、疲れていました。

それでも、子どもは変わらなかった

たくさん遊んであげられなくても。怒りっぽい日でも。元気のない日でも。

子どもは、わたしの態度とは関係なく、いつも変わらず「ママ大好き」と言ってくれます。

わたしが何かをしてあげるから、好きと言ってくれるわけじゃない。飾らない、ありのままのわたしでさえ。理不尽な態度をとってしまった日でさえ。それでも、好きだと言ってくれるんです。

当たり前なんかじゃない

ある日のこと。余裕がなくて、ついきつく怒ってしまった夜でした。

それなのに、寝る前に娘がぽつりと、「ママ、だいすき」と言ったんです。怒ったばかりのわたしに、なんの引っかかりもなく、まっすぐに。その一言に、胸がぎゅっとなりました。

ちゃんとできていない自分を責めるより、こんな自分でも愛してくれる存在がいることを、もっと大切にしていきたい。そう思うようになりました。子どもが「ママ大好き」と言ってくれることを、当たり前にしてはいけないな、と。

いつもそばにいてくれることも。「ママ」と呼んでくれることも。ぎゅっと抱きついてきてくれることも。——本当は、当たり前なんかじゃないんですよね。

限られた時間の中で、いつまでこうして一緒にいられるのかは、誰にも分かりません。

あと何年、「ママ大好き」と言ってもらえるんだろう

子どもに「ママ大好き」と言ってもらえるのは、あと何年くらいなんだろう。

いつか「ママ」より、友達といる時間の方が楽しくなって。いつか一緒に遊ぶことも、なくなって。いつか「今日あったこと」を、話してくれなくなる。

そうやって少しずつ、親子の時間は変わっていくんだと思います。

そう考えると、今の「ママ、ママ」と呼んでくれる毎日も、いつかは懐かしく思う日が来るのかもしれません。

救われていたのは、わたしの方だった

「子どものために頑張らなきゃ」。ずっと、そう思っていました。でも、本当は違ったのかもしれません。

頑張れないわたしを受け入れてくれて。笑えないわたしを、笑わせてくれて。何もしたくないわたしのところに、「ママ」と来てくれる。

救われていたのは、わたしの方だったんだと思います。

子どもがいるから、頑張れる日がある。子どもがいるから、笑える日がある。そして、子どもがくれる「大好き」に、何度も自分を取り戻させてもらっていました。

親が子どもを育てているようで、実は、わたしも子どもに育ててもらっている。そんなことに、今さら気づきました。

毎日、ちゃんとできなくてもいい

毎日、ちゃんとできなくてもいい。

たくさん遊べない日があってもいい。優しくできない日があってもいい。何もしてあげられない日があってもいい。

それでも、子どもはきっと今日も、あなたのことが大好きです。

あなたは今、子どもからもらっている「愛」に、ちゃんと気づけていますか?

毎日忙しくて、余裕がなくて、「ママ、ママ」と呼ばれることさえ、しんどい日もあるかもしれません。

もし今、少し疲れているのなら。「ちゃんとできていない自分」ではなく、「それでも愛されている自分」に、ほんの少し目を向けてみてくださいね。

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